2017年4月28日金曜日

ワルシャワデザインフェア

28, Kwietnia, 2017
piatek

水道工事、今日で完全に終了しました。
火曜日は確認しただけ、何もしないで帰って行ったのは許せませんが(笑)、対応の遅さについては、ここは日本ではないぞ、と言い聞かせて我慢しました。あとは部屋に入って工事をするので、鍵をかけないで出かけなければいけなかったのも不安でした(特に問題はありませんでしたが)。
でも、もうちょっとまじめに働いてくれ!という思いです。本当に直ったのだろうか???と不信感しかありません正直。英語が通じないので、クレームのひとつも言えない自分にがっかり。

周りの住人にはすごく救われました。それから大学でポーランド人の友人に話したら、「もし工事の人が来なかったら、大学に言っとくから!だって大学の管理だもの!」って力を貸してくれました。

隣のロシア人のおじさまは、「この建物はとても古いから、どの部屋も断水する危険がある。今回はこの2部屋だけだったけどね。僕もあまりこれを使いたくない」と。来年も日本から留学生が来る予定なので、ぜひシェアしておこうと思いました。

気分を切り替えまして、先週末にTargi Reczy Ladnych (Lovely things fair)(サイトはこれです)に行ってきました。
家具、アート作品、洋服、子ども、のようなセクションに分かれていて、ポーランドのショップが集まって作品を売るイベントです。入場料は5zl(約150円)。かなり混んでいましたが、うきうき!



私はポストカードを物色していたのですが、「子ども」と書かれたコーナーは絵本売り場でして、長居してしまいました。
というのも、絵本を手に取って見ていると、売り場の人が必ず声をかけてくれます。それが私には好印象でした。 スタッフひとりひとりが、その本のどこが素晴らしいのか、どのページのどの描写がおすすめなのか、わざわざ英語で説明してくれます。「どこから来たの?」「学生?」など会話もあり、スタッフ同士で、「ほら、ここも紹介してあげて!」のような掛け合いもあります。
たしかに私に本を買ってもらいたいというのもあると思うけれど、その本が世に出ている意味や価値を知ってほしいという熱意のほうが伝わってきました。で、結局買っちゃうのですが。





ポーランド人の作家の絵本ももちろんありますが、懐かしの「ロッタちゃん」のポーランド語訳を発見して、ついつい手がのびてしまうという、、、とても楽しい時間でした!

2017年4月25日火曜日

水道工事が難航しています

25, Kwietnia, 2017
wtorek

【26日 追記】
朝の7時、やっと水道工事の人が来て、すべての管を取り換える大規模工事が始まりました。昨日なんて、状態を点検して、明日やるよ!と陽気に言われ、(日本だったら怒る人いるよね)と内心思いながら、結局1日中水なしで生活しました。まぁ私は修理できないのでね。

私の部屋と右隣の部屋と同じ場所にいる、違う階の人も同じ目に遭っているそうです。まわりの住人が見物に来ています。見た感じだと、上手くいっていないんだよなあ。心配である。
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昨晩、シャワーの帰り(なんてったってシャワーは外にあるので)、
21:30、
夜、
休息の時間、、、

水道から突然どばどばと黒い水が出てくるーーー
黒いというのが嫌ですね。臭いはなく、灰みたいなものが出てきます。
このままだと水があふれて床が水浸しになるので、バケツで必死のくみ出し→トイレ(これも外にある)に捨てに行く、を延々繰り返す。

受付に言いに行く間もなく水が出てくるので、ひたすら部屋とトイレを往復していたら、隣の部屋のおじさまも(なんてったってここは学生がほとんど住んでいないアパートメントなので)、同じことになっていた。私だけじゃない!救い!

おじさまはロシア人で、ワルシャワ大学の博士課程在籍。ここに住むのは3年目だそうです。なぜか部屋着が甚平(笑)。ポーランド語とロシア語が似ていて、ポーランド人とコミュニケーションができるので、本当に助かりました(泣)。受付の人に電話してもらいました。

結局、今日はこれで耐えろ!と言われ、大きな洗面器で対策しておりました。



夜中もごぽごぽと音がして、吐き出てきているのか、と思えば吸い込んでいたり。
寝たいのに眠れない(涙)

翌朝、掃除のおばさんにも写真を見せて、昨日受付に言ったんだよって私がポーランド語で言ったら、あらあら、あとで人が来るから(ポーランド語だけどたぶんそう言っていた)といって、同情してくれました。
学校に行って、速攻で帰ってきて、もうお昼になるというのに、まだ人が来ません。ついに使用不可になりました。いつ来るかわからないのに部屋にいろと言われています。だからこうして報告でもしようかなと。ちなみにまだごぽごぽ音がします…

はじめはどうしよう!と焦りましたが、今は笑って、やっぱりね、と言う感じ。
うちは床もみしみし、しかも傾いているし、壁もはげているし、建物が丈夫でないのは知っていたから、いつかはこうなるだろうと。でもだいたいのことは何とかなると思っています。こっちの人たちの、誰のせいでもないのですぐに謝らない、ほっとかれるところも好きです。

さらっと書いたけれど、言語が似ているってどういう感覚なのだろう?スロバキアもロシアもウクライナも。ポーランド語ではない言語で、ポーランド人とコミュニケーションが成り立つって、やっぱり不思議である。

復旧するといいなぁ

2017年4月14日金曜日

チェルノブイリ

13, Kwietnia, 2017
czwartek

「ダークツーリズム(Dark Tourism)」という言葉を知ったのはいつだっただろう…なにで知ったのか、よく思い出せません。チェルノブイリに行ってみたいと思ったのも、いつだったか。

実際にツアーに参加した様子をお伝えします。先に言っておきますが、個人としては疑問が残る、つっこみどころのあるツアーでした…
チェルノブイリは個人で行くことはできず、必ずツアーに申し込まなくてはいけません。パスポートチェックが2回あります。グループは15人くらい。わたしたち以外は全員男性で、国籍もばらばら。英語で会話しているグループはいませんでした。学生も我々だけ。アジアも我々だけ。大男たちに囲まれながらの移動。この時点で若干カオスです(笑)。
ツアー客のテンションや動機に終始疑問でした。前に座っていた2人組が、アイスクリーム片手にずーっとしゃべっていて、大声で笑っていて、写真を撮るときは必ずピースで自分も写るという。小学生か。呆れたガイドさんが、
ガイドさん:‟ How old are you? ” そのツアー客:‟ I’m five.”
私は吹き出してしまった。

そんな男気あふれるミニバスに乗って2時間で、30キロ圏内に到着します。車内ではチェルノブイリに関するビデオが流れ、注意事項(飲食は車内でする、パスポートを持っていく、すべてのものに触らない、ガイドさんの言うことを聞く)を確認します。
車内のビデオ:当時の報道や証言をもとに作られたドキュメンタリーを少し流したあと、チェルノブイリをバックに歌うミュージシャン、チェルノブイリが舞台のホラー映画の予告。そういうふうに使うのはありなのだろうか。


到着。30キロ圏内です。
まわりはなにもありませんが、ところどころ住めそうな集合住宅がありました。バスで通りすぎてしまったのでじっくり見られませんでした。
さまざまな像やモニュメントがあります。



お昼ご飯を食べたあとは、10キロ圏内まで進んでいきます。まずは幼稚園。



カフェ。


警察署。


事故のあった原発4号機。他(1~6号機)は2000年まで稼働、現在は停止中ですが、2000人がここで働いています。写真は「石棺」が老朽化し、世界から1800億円を出資して作られた新たなシェルター。ニュースがこちら


ツアー自体は7時間でしたが、それぞれの場所が離れているため一回一回バスに乗って移動していきます。ガイドさんの説明はなく、「着きました。ここはかつて〇〇だったところです。10分後に出発します。」の繰り返し。ツアー客は写真を撮って、ぐるっとまわって、バスに乗る、の繰り返し。
まぁ村だし、住んでいる人だっているしで、アウシュビッツのようなガイドを求めてはいけないのだろうけれど、もうちょっと何かあるんじゃないかなぁと思ってしまいました。そういう人は博物館に行けということか。

感覚としては、川崎や横須賀で流行った「工場夜景クルーズ」とか、ちょっと古めの建物を巡る「廃墟ツアー」に近いものなのではないかなと。私の憶測でしかないけれど、大きな車や機械・メカみたいなものが好きな人っているじゃないですか、まさにここが、「破壊された大きなもの」のオンパレードなのですよ。特に警察署はモーターショー並みに車ばっかりだし。たぶん男性が多いのも関係があるのではないかと思っているのですが…

それから見せ方が故意ではないか?というところがいくつか。特に幼稚園で、りんごや人形の置かれ方、状態が不自然でした(不気味なので写真はなし)。ここにきて黙っちゃう‟ I’m five.” の大男と、「え、なんかちょっとこれ変じゃない?」と話しながら証拠に写真を撮り、ここにきて突然活発になるアジアの女子学生。逆転したこの瞬間は忘れません。

いろいろ書きましたが、行ってよかったです。でも『チェルノブイリの祈り』を読み、NHKのドキュメンタリーを見ても、まだもやっとしたものが残る。実はキエフにあるチェルノブイリ博物館は、残念ながら休館日とかぶってしまい、行けませんでした。行けばもっと感じるものがあったのかもしれない。
調べていくうちに、今まで私が修学旅行で訪れた場所も、「ダークツーリズム」の例として挙げられていたことがわかり驚く(広島以外です)。高校生でダークツーリズムをしていたってことかぁ、もっと知っていたらなぁと思うと残念な気持ちです。というか、そのときにもっと知る機会があっても良かったのでは!?!?と思ったり。

2017年4月10日月曜日

ウクライナの旅

10, Kwietnia, 2017
poniedzialek

エッフェル塔、サグラダファミリア、ヴェネチア、どれも行ってみたい場所だけれど、私個人としては、それよりももっと行ってみたい場所がありました。それがウクライナ、特にチェルノブイリでした。
さすがにひとりはなぁ…こんな提案をしたらどんな反応があるのかなぁ…と思っていましたが、叶いました。ウクライナに日本人の友人と行ってきました。私にとって、こっちにいる日本人との、初めての旅となりました。

行ってみて、キエフのイメージが変わりました。ウクライナ東部など、現地の人でも行けないような場所があるのですが、首都はきれいで、落ち着いていて、穏やかでした。ワルシャワのように落書きもなく、空気汚染も感じません。
さらに人。やさしい目、つつみこむような目。日本を発ってから初めて、こんな目をしている人を見たよわたしは!というのは完全に私の感じ方の問題で、一緒に旅した彼女には理解してもらえず。「やさしさ」問題は深まる一方です…


通貨はグリブナ。物価はとても安く、地下鉄が16円、空港から市内までのバスが200~320円、夜ご飯もスープ、メイン、飲み物を頼んでも600円、という感じです。

キエフでは大聖堂や修道院、教会などをまわってきました。イースター前ということで人が多く、にぎやかでした。中は入りませんでした。ロシア正教、色が鮮やか。女性はスカーフを巻いています。


11世紀に創設されたペチェールシク大修道院。ロシア正教のなかでも「大修道院」という称号をもつものは少ないそうです。ロシア正教ウクライナ支部の総本山。地下洞窟や博物館もあり、とにかく広い。修道士さんに水をかけてもらっていました。

桜が咲いていました。近くのおじさんが、桜だって言っていた。
聖ソフィア大聖堂。キエフ最古の教会。
広場ではイースターエッグの展示会をやっていました。




聖ミハイル黄金ドーム修道院


聖アンドレイ教会。
エルミタージュ美術館を設計したイタリアの建築家、ラストレッリが手がけたそうです。
キエフ大学。すべて赤。
徴兵拒否運動をした学生への罰として、血の色で塗りつぶしたといわれている。
チェルノブイリについてはまた書きます。

2017年4月5日水曜日

映画The Zookeeper's Wife を観て

5, Kwietnia, 2017
sroda

2017年3月31日に公開されたハリウッド映画、The Zookeeper's Wife (ポ:Azyn)を英語版ポーランド字幕で観てきました。
日本での公開は未定ですが、原作がこちら『ユダヤ人を救った動物園』という本になっています。
学生は20zl(約600円)でチケットが買えます。
これはワルシャワの動物園で、ユダヤ人300人をかくまって助けた経営者、ヤンとアントニーナの夫妻のお話です。現在もこの動物園は営業しており、私が以前住んでいた寮の近くにあります(が、行ったことはない)。

この映画は第二次世界大戦前から戦後までの4,5年を2時間の映画に収めていて、夫婦(しかもアントニーナのほう)が主役になっているので、戦争のシーンはあっても多くはなく、あくまでも彼らがどうやってユダヤ人をゲットーから動物園に連れてきて、隠しながら暮らしていたか、ということについて描かれています。
夫のヤンは、さまざまな協力者を得ながら動物園とユダヤ人ゲットーを行き来しているので、ゲットー内と、そこで暮らす(というレベルではない)ユダヤ人が何度も出てきます。服の上からダビデの星を縫い付けられ、罵られ、蹴られ、など。見ていられないシーンもあるし、人間て……暗い気持ちが広がっていきます。そんななかで登場する子どもたち、学校、有名なコルチャック先生との交流には、こみあげるものがありました。特にコルチャック先生が言う、"It's impossible." は、前後の文脈から観ると本当につらすぎる。今でも悲しいです。
他にも10代前半の少女、レイプされて心身ずたずたにされた状態で出てくるのですが、彼女が初めて動物園に来たとき、自分の名前を名乗らないんです。その反応、そして名前を言えるようになったきっかけ、そのあとの状態、そこらへんも大事な場面な気がします。

この映画を知ったのは先生の紹介でした。授業中に先生が、「これはアメリカが制作した映画で、もちろん実話に基づいてはいるけれど、少し加工、脚色がされているのではないかと思っている。興味あったら観たら?」と。先生はポーランド人ですが、「アメリカにあるJewish Museum もそうだ(何を‟そう”と言っているのかわからない)けれど、アメリカはユダヤ人が住みやすいような環境を提供してきた、という自負がある、だからポーランドが作るJewishの映画とはちがう」、というのが彼の考えのようです。
culture.pl というポーランド発信のwebマガジンがあって、毎回おもしろいのでリンクを貼っておきます。ここでもThe Zookeeper's Wife の記事があります。この記事によると、ロマンスはuntrueだそうです。
あとひとつだけ、戦争中でもヤン一家が裕福な暮らしをしているのが不思議。アントニーナは毎日メイクもしているし、普通に家族で食卓テーブルを囲んでご飯を食べている。

私は日本にいても勧められない限り、映画をめったに観ないので、こっちにいる間にもう少し観て帰ろうかなと思います。あ、Beuty and the Beast のポーランド版があったので写真。エマ・ワトソンきれいだなぁ。

2017年4月2日日曜日

ルブリン Lublin

2, Kwietnia, 2017
niedziela

この週末、ワルシャワの気温は24度、23度まで上がりました。
暖かい、ではなく、あつい!日差しが強い!ついに半袖を着ました。

自転車利用も増えました。
私の毎日の通学路です。
うちの近くの公園。お気に入りの場所です。

こっちは卒業式も入学式も入社式も桜もなく、1か月前から新学期が始まっているので、いつもと変わらない日常を過ごしています。

日帰りでルブリンという町に行ってきました。16世紀の「ルブリン合同」のときにはポーランドがリトアニアを統合し、ポーランド・リトアニア共和国の中心都市として栄えました。また、クラクフと並んでユダヤ人も多く住んでいたことから、ユダヤ文化も残っています。
旧市街、ルブリン城を見てまわったあと、マイダネク強制収容所にも行ってきました。

旧市街

白が特徴のルブリン城。中は狭く、美術館になっています。

隣接する聖三位一体礼拝堂。
すみずみまでフレスコ画が描かれています。

どこに行っても、絵がカラフル

お昼はユダヤ料理を食べました。開店5分前に入れてくれました。


午後からマイダネク強制収容所へ。あまり知られていないと思うのですが、ここは世界で初めてナチスの強制収容所の博物館として公開された場所です。1941年にできたこの収容所の規模は、アウシュビッツよりもはるかに大きいです。



アウシュビッツとちがうのは、ガイドがなく、誰でも自由に入って見学ができるところ。とにかく広くて、人もまばらで、ベビーカーで散歩している親子も見かけます。のどかすぎる光景。バラックのいくつかは展示になっています。遺品の展示というよりは、年表や地図などのパネル展示が主でした。
「ここがユダヤ問題を解決する最後の場所」「ユダヤ問題の最終的解決」という言葉が強く残りました。ユダヤ(人)問題Jewish Problem を解決するというのは、ユダヤ人を根絶やしにするということです。あとは現代アートとコラボレーションしてつくられた、日本でいう灯籠の展示もありました。名前のわからない犠牲者を追悼することが目的だそうです。